幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について

幣原先生から聴取した

戦争放棄条項等の生まれた事情について

出典:国立国会図書館憲政資料室所蔵、文書名「憲法調査会資料(西沢哲四郎旧蔵)」、文書番号165


幣原喜重郎プロフィール
しではらきじゅうろう 1872年大阪府生まれ。東京帝国大学英法科卒。外務省に入り1919年駐米特命全権大使。21年ワシントン会議に全権委員として出席。24年加藤高明内閣で外務大臣就任、4度の外務大臣を歴任。国際協調、恒久平和、共存共栄、対支不干渉の四原則に貫かれた「幣原外交」は親英米政策をとった。軍国主義が台頭し始めるとその平和外交は「軟弱外交」と称されるようになる。31年満州事変勃発により退陣。終戦後、昭和天皇の命により、45年10月6日に首相就任。新憲法制定に携わる。その後、進歩党総裁、民主自由党に移り衆議院議長を務める。51年死去。

平野三郎プロフィール
ひらのさぶろう 1912年岐阜県生まれ。衆議院議長だった幣原の秘書官を努めた。49年から5期連続衆議院議員、66年から岐阜県知事を3期歴任。64年2月、『幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について』と題する報告書を憲法調査会に提出。94年死去。



 昭和三十九年二月

幣原先生から聴取した

戦争放棄条項等の生まれた事情について


―平野三郎氏記―

                    憲法調査会事務局




はしがき


 この資料は、元衆議院議員平野三郎氏が、故幣原喜重郎氏から聴取した、戦争放棄条項等の生まれた事情を記したものを、当調査会事務局において印刷に付したものである。
 なお、この資料は、第一部・第二部に分かれているが、第一部・第二部それぞれの性格については、平野氏の付されたまえがきを参照されたい。
  昭和三十九年二月        憲法調査会事務局



第一部


 私が幣原(しではら)先生から憲法についてお話を伺ったのは、昭和二十六年二月下旬である。同年三月十日、先生が急逝される旬日(じゅんじつ、十日)ほど前のことであった。場所は世田谷区岡本町の幣原邸であり、時間は二時間ぐらいであった。
 側近にあった私は、常に謦咳(けいがい、尊敬する人の話を身近に聞くこと)にふれる機会はあったが、まとまったお話を承ったのは当日だけであり、当日は、私が戦争放棄条項や天皇の地位について日頃疑問に思っていた点を中心にお尋ねし、これについて幣原先生にお答え願ったのである。
 その内容については、その後間もなくメモを作成したのであるが、以下は、そのメモのうち、これらの条項の生まれた事情に関する部分を整理したものである。
 なお、当日の幣原先生のお話の内拘(内容)については、このメモにもあるように、幣原先生から口外しないようにいわれたのであるが、昨今の憲法制定の経緯に関する論議の状況にかんがみてあえて公(おおやけ)にすることにしたのである。


 かねがね先生にお尋ねしたいと思っていましたが、幸い今日はお閑(ひま)のようですから是非うけたまわり度(た)いと存じます。
 実は憲法のことですが、私には第九条の意味がよく分りません。あれは現在占領下の暫定的な規定ですか、それなら了解できますが、そうすると何れ独立の暁には当然憲法の再改正をすることになる訳ですか。
 いや、そうではない。あれは一時的なものではなく、長い間僕が考えた末の最終的な結論というようなものだ。

 そうしますと一体どういうことになるのですか。軍隊のない丸裸のところへ敵が攻めてきたら、どうするという訳なのですか。
答 それは死中に活だよ。一口に言えばそういうことになる。
問 死中に活と言いますと………
答 たしかに今までの常識ではこれはおかしいことだ。しかし原子爆弾というものが出来た以上、世界の事情は根本的に変って終ったと僕は思う。何故ならこの兵器は今後更に幾十倍幾百倍と発達するだろうからだ。恐(おそ)らく次の戦争は短時間のうちに交戦国の大小都市が悉(ことごと)く灰燼に帰して終(しま)うことになるだろう。そうなれば世界は真剣に戦争をやめることを考えなければならない。そして戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証になる。

 しかし日本だけがやめても仕様がないのではありませんか。
 そうだ。世界中がやめなければ、ほんとうの平和は実現できない。しかし実際問題として世界中が武器を持たないという真空状態を考えることはできない。
 それについては僕の考えを少し話さなければならないが、僕は世界は結局一つにならなければならないと思う。つまり世界政府だ。世界政府と言っても、凡(すべ)ての国がその主権を捨てて一つの政府の傘下に集るようなことは空想だろう。だが何らかの形に於ける世界の連合方式というものが絶対に必要になる。何故なら、世界政府とまでは行かなくとも、少くも各国の交戦権を制限し得る集中した武力がなければ世界の平和は保たれないからである。凡(およ)そ人間と人間、国家と国家の間の紛争は最後は腕づくで解決する外はないのだから、どうしても武力は必要である。しかしその武力は一個に統一されなければならない。二個以上の武力が存在し、その間に争いが発生する場合、一応は平和的交渉が行われるが、交渉の背後に武力が控えている以上、結局は武力が行使されるか、少なくとも武力が威嚇手段として行使される。したがって勝利を得んがためには、武力を強化しなければならなくなり、かくて二個以上の武力間には無限の軍拡競争が展開され遂に武力衝突を引き起す。すなわち戦争をなくするための基本的条件は武力の統一であって、例えば或る協定の下で軍縮が達成され、その協定を有効ならしむるために必要な国々が進んで且つ誠意をもってそれに参加している状態、この条件の下で各国の軍備が国内治安を保つに必要な警察力の程度にまで縮小され、国際的に管理された武力が存在し、それに反対して結束するかも知れない如何なる武力の組み合せよりも強力である、というような世界である。
 そういう世界は歴史上存在している。ローマ帝国などもそうであったが、何より記録的な世界政府を作った者は日本である。徳川家康が開いた三百年の単一政府がそれである。この例は平和を維持する唯一の手段が武力の統一であることを示している。
 要するに世界平和を可能にする姿は、何らかの国際的機関がやがて世界同盟とでも言うべきものに発展し、その同盟が国際的に統一された武力を所有して世界警察としての行為を行なう外はない。このことは理論的には昔から分っていたことであるが、今まではやれなかった。しかし原子爆弾というものが出現した以上、いよいよこの理論を現実に移す秋(とき)がきたと僕は信じた訳だ。

 それは誠に結構な理想ですが、そのような大問題は大国同志が国際的に話し合って決めることで、日本のような敗戦国がそんな偉そうなことを言ってみたところでどうにもならぬのではないですか。
 そこだよ、君。負けた国が負けたからそういうことを言うと人は言うだろう。君の言う通り、正にそうだ。しかし負けた日本だからこそ出来ることなのだ。
 恐(おそ)らく世界にはもう大戦争はあるまい。勿論、戦争の危険は今後むしろ増大すると思われるが、原子爆弾という異常に発達した武器が、戦争そのものを抑制するからである。第二次大戦が人類が全滅を避けて戦うことのできた最後の機会になると僕は思う。如何に各国がその権利の発展を理想として叫び合ったところで、第三次大戦が相互の破滅を意味するならば、いかなる理想主義も人類の生存には優先しないことを各国とも理解するからである。
 したがって各国はそれぞれ世界同盟の中へ溶け込む外はないが、そこで問題はどのような方法と時間を通じて世界がその最後の理想に到達するかということにある。人類は有史以来最大の危機を通過する訳だが、その間どんな事が起るか、それはほとんど予想できない難しい問題だが、唯一つ断言できることは、その成否は一(偏・ひとえ)に軍縮にかかっているということだ。若(も)しも有効な軍縮協定ができなければ戦争は必然に起るだろう。既に言った通り、軍拡競争というものは際限のない悪循環を繰り返すからだ。常に相手より少しでも優越した状態に己れを位置しない限り安心できない。この心理は果てしなく拡がって行き何時かは破綻が起る。すなわち協定なき世界は静かな戦争という状態であり、それは嵐の前の静けさでしかなく、その静けさがどれだけ持ちこたえるかは結局時間の問題に過ぎないと言う恐るべき不安状態の連続になるのである。
 そこで軍縮は可能か、どのようにして軍縮をするかということだが、僕は軍縮の困難さを身をもって体験してきた。世の中に軍縮ほど難しいものはない。交渉に当る者に与えられる任務は如何にして相手を偽瞞(欺瞞・ぎまん)するかにある。国家というものは極端なエゴイストであって、そのエゴイズムが最も狡猾で悪らつな狐狸となることを交渉者に要求する。虚々実々千変万化、軍縮会議に展開される交渉の舞台裏を覗きみるなら、何人も戦慄を禁じ得ないだろう。軍縮交渉とは形を変えた戦争である。平和の名をもってする別個の戦争であって、円満な合意に達する可能性などは初めからないものなのだ。原子爆弾が登場した以上、次の戦争が何を意味するか、各国とも分るから、軍縮交渉は行われるだろう。だが交渉の行われている合間にも各国はその兵器の増強に狂奔するだろう。むしろ軍縮交渉は合法的スパイ活動の場面として利用される程である。不信と猜疑がなくならない限り、それは止むを得ないことであって、連鎖反応は連鎖反応を生み、原子爆弾は世界中に拡がり、終りには大変なことになり、遂には身動きもできないような瀬戸際に追いつめられるだろう。
 そのような瀬戸際に追いつめられても各国はなお異口同音に言うだろう。軍拡競争は一刻も早く止めなければならぬ。それは分っている。分ってはいるがどうしたらいいのだ。自衛のため46には力が必要だ。相手がやることは自分もやらねばならぬ。相手が持つものは自分も持たねばならぬ。その結果がどうなるか。そんなことは分らない。自分だけではない。誰にも分らないことである。とにかく自分は自分の言うべきことを言っているより仕方はないのだ。責任は自分にはない。どんなことが起ろうと、責任は凡(すべ)て相手方にあるのだ。
 果てしない堂々巡りである。誰にも手のつけられないどうしようもないことである。集団自殺の先陣争いと知りつつも、一歩でも前へ出ずにはいられない鼠の大群と似た光景――それが軍拡競争の果ての姿であろう。
 要するに軍縮は不可能である。絶望とはこのことであろう。唯もし軍縮を可能にする方法があるとすれば一つだけ道がある。それは世界が一せいに一切の軍備を廃止することである。
 一、二、三の掛声もろとも凡(すべ)ての国が兵器を海に投ずるならば、忽ち軍縮は完成するだろう。勿論不可能である。それが不可能なら不可能なのだ。
 ここまで考えを進めてきた時に、第九条というものが思い浮んだのである。そうだ。もし誰かが自発的に武器を捨てるとしたら――
 最初それは脳裏をかすめたひらめきのようなものだった。次の瞬間、直ぐ僕は思い直した。自分は何を考えようとしているのだ。相手はピストルを持っている。その前に裸のからだをさらそうと言う。何と言う馬鹿げたことだ。恐ろしいことだ。自分はどうかしたのではないか。若(も)しこんなことを人前で言ったら、幣原は気が狂ったと言われるだろう。正に狂気の沙汰である。
 しかしそのひらめきは僕の頭の中でとまらなかった。どう考えてみても、これは誰かがやらなければならないことである。恐らくあのとき僕を決心させたものは僕の一生のさまざまな体験ではなかったかと思う。何のために戦争に反対し、何のために命を賭けて平和を守ろうとしてきたのか。今だ。今こそ平和だ。今こそ平和のために起つ秋(とき)ではないか。そのために生きてきたのではなかったか。そして僕は平和の鍵を握っていたのだ。何か僕は天命をさずかったような気がしていた。
 非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。だが今では正気の沙汰とは何かということである。武装宣言が正気の沙汰か。それこそ狂気の沙汰だという結論は、考えに考え抜いた結果もう出ている。
 要するに世界は今一人の狂人を必要としているということである。何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果すのだ。
 日本民族は幾世紀もの間戦争に勝ち続け、最も戦斗(せんとう)的に戦いを追求する神の民族と信じてきた。神の信条は武力である。その神は今や一挙に下界に墜落した訳だが、僕は第九条によって日本民族は依然として神の民族だと思う。何故(なぜ)なら武力は神でなくなったからである。神でないばかりか、原子爆弾という武力は悪魔である。日本人はその悪魔を投げ捨てることに依って再び神の民族になるのだ。すなわち日本はこの神の声を世界に宣言するのだ。それが歴史の大道である。悠々とこの大道を行けばよい。死中に活というのはその意味である。

 お話の通りやがて世界はそうなると思いますが、それは遠い将来のことでしょう。しかしその日が来るまではどうする訳ですか。目下の処は差当り問題ないとしても、他日独立した場合、敵が口実を設けて侵略してきたらです。
 その場合でもこの精神を貫くべきだと僕は信じている。そうでなければ今までの戦争の歴史を繰り返すだけである。然(しか)も次の戦争は今までとは訳が違う。
 僕は第九条を堅持することが日本の安全のためにも必要だと思う。勿論軍隊を持たないと言っても警察は別である。警察のない社会は考えられない。殊に世界の一員として将来世界警察への分担責任は当然負わなければならない。しかし強大な武力と対抗する陸海空軍というものは有害無益だ。僕は我国の自衛は徹頭徹尾正義の力でなければならないと思う。その正義とは日本だけの主観的な独断ではなく、世界の公平な与論に依って裏付けされたものでなければならない。そうした与論が国際的に形成されるように必ずなるだろう。何故なら世界の秩序を維持する必要があるからである。若(も)し或る国が日本を侵略しようとする。そのことが世界の秩序を破壊する恐れがあるとすれば、それに依って脅威を受ける第三国は黙ってはいない。その第三国との特定の保護条約の有無にかかわらず、その第三国は当然日本の安全のために必要な努力をするだろう。要するにこれからは世界的視野に立った外交の力に依って我国の安全を護るべきで、だからこそ死中に活があるという訳だ。

 よく分りました。そうしますと憲法は先生の独自の御判断で出来たものですか。一般に信じられているところは、マッカーサー元帥の命令の結果ということになっています。尤(もっと)も草案は勧告という形で日本に提示された訳ですが、あの勧告に従わなければ天皇の身体を保証できないという恫愒があったのですから事実上命令に外ならなかったと思いますが。
 そのことは此処だけの話にして置いて貰もらわねばならないが、実はあの年(昭和二十年)の暮から正月にかけ僕は風邪をひいて寝込んだ。僕が決心をしたのはその時である。それに僕には天皇制を維持するという重大な使命があった。元来、第九条のようなことを日本側から言いだすようなことは出来るものではない。まして天皇の問題に至っては尚更である。この二つは密接にからみ合っていた。実に重大な段階にあった。
 幸いマッカーサーは天皇制を存続する気持を持っていた。本国からもその線の命令があり、アメリカの肚(はら)は決っていた。ところがアメリカにとって厄介な問題が起った。それは濠洲やニュージーランドなどが、天皇の問題に関してはソ連に同調する気配を示したことである。これらの国々は日本を極度に恐れていた。日本が再軍備をしたら大変である。戦争中の日本軍の行動は余りに彼らの心胆を寒からしめたから無理もないことであった。殊に彼らに与えていた印象は、天皇と戦争の不可分とも言うべき関係であった。日本人は天皇のためなら平気で死んで行く。恐るべきは「皇軍」である。という訳で、これらの国々のソ連への同調によって、対日理事会の票決ではアメリカは孤立化する恐れがあった。
 この情勢の中で、天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案することを僕は考えた訳である。
 濠洲その他の国々は日本の再軍備を恐れるのであって、天皇制そのものを問題にしている訳ではない。故に戦争が放棄された上で、単に名目的に天皇が存続するだけなら、戦争の権化としての天皇は消滅するから、彼らの対象とする天皇制は廃止されたと同然である。もともとアメリカ側である濠洲その他の諸国は、この案ならばアメリカと歩調を揃え、逆にソ連を孤立させることが出来る。
 この構想は天皇制を存続すると共に第九条を実現する言わば一石二鳥の名案である。尤(もっと)も天皇制存続と言ってもシムボルということになった訳だが、僕はもともと天皇はそうあるべきものと思っていた。元来天皇は権力の座になかったのであり、又なかったからこそ続いてきたのだ。もし天皇が権力を持ったら、何かの失政があった場合、当然責任問題が起って倒れる。世襲制度である以上、常に偉人ばかりとは限らない。日の丸は日本の象徴であるが、天皇は日の丸の旗を護持する神主のようなものであって、むしろそれが天皇本来の昔に還ったものであり、その方が天皇のためにも日本のためにもよいと僕は思う。
 この考えは僕だけではなかったが、国体に触れることだから、仮りにも日本側からこんなことを口にすることは出来なかった。憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった。
 そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出して貰うよう決心したのだが、これは実に重大なことであって、一歩誤れば首相自らが国体と祖国の命運を売り渡す国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。松本君(松本烝治(じょうじ)。幣原内閣当時の憲法改正担当国務大臣)にさえも打明けることの出来ないことである。したがって誰にも気づかれないようにマッカーサーに会わねばならぬ。幸い僕の風邪は肺炎ということで元帥からペニシリンというアメリカの新薬を貰いそれによって全快した。そのお礼ということで僕が元帥を訪問したのである。それは昭和二一年の一月二四日である。その日、僕は元帥と二人切りで長い時間話し込んだ。すべてはそこで決まった訳だ。


 元帥は簡単に承知されたのですか。
 マッカーサーは非常に困った立場にいたが、僕の案は元帥の立場を打開するものだから、渡りに舟というか、話はうまく行った訳だ。しかし第九条の永久的な規定ということには彼も驚ろいていたようであった。僕としても軍人である彼が直ぐには賛成しまいと思ったので、その意味のことを初めに言ったが、賢明な元帥は最後には非常に理解して感激した面持で僕に握手した程であった。
 元帥が躊躇した大きな理由は、アメリカの戦略に対する将来の考慮と、共産主義者に対する影響の二点であった。それについて僕は言った。
 日米親善は必ずしも軍事一体化ではない。日本がアメリカの尖兵となることが果してアメリカのためであろうか。原子爆弾はやがて他国にも波及するだろう。次の戦争は想像に絶する。世界は亡びるかも知れない。世界が亡びればアメリカも亡びる。問題は今やアメリカでもロシアでも日本でもない。問題は世界である。いかにして世界の運命を切り拓くかである。日本がアメリカと全く同じものになったら誰が世界の運命を切り拓くか。
 好むと好まざるにかかわらず、世界は一つの世界に向って進む外はない。来るべき戦争の終着駅は破滅的悲劇でしかないからである。その悲劇を救う唯一の手段は軍縮であるが、ほとんど不可能とも言うべき軍縮を可能にする突破口は自発的戦争放棄国の出現を期待する以外ないであろう。同時にそのような戦争放棄国の出現も亦(また)ほとんど空想に近いが、幸か不幸か、日本は今その役割を果し得る位置にある。歴史の偶然はたまたま日本に世界史的任務を受け持つ機会を与えたのである。貴下さえ賛成するなら、現段階に於ける日本の戦争放棄は、対外的にも対内的にも承認される可能性がある。歴史のこの偶然を今こそ利用する秋(とき)である。そして日本をして自主的に行動させることが世界を救い、したがってアメリカをも救う唯一つの道ではないか。
 また日本の戦争放棄が共産主義者に有利な口実を与えるという危険は実際あり得る。しかしより大きな危険から遠ざかる方が大切であろう。世界はここ当分資本主義と共産主義の宿敵の対決を続けるだろうが、イデオロギーは絶対的に不動のものではない。それを不動のものと考えることが世界を混乱させるのである。未来を約束するものは、絶えず新しい思想に向って創造発展して行く道だけである。共産主義者は今のところはまだマルクスとレーニンの主義を絶対的真理であるかの如く考えているが、そのような論理や予言はやがて歴史の彼方に埋没して終うだろう。現にアメリカの資本主義が共産主義者の理論的攻撃にもかかわらずいささかの動揺も示さないのは、資本主義がそうした理論に先行して自らを創造発展せしめたからである。それと同様に共産主義のイデオロギーも何れ全く変貌して終しまうだろう。何れにせよ、ほんとうの敵はロシアでも共産主義でもない。このことはやがてロシア人も気づくだろう。彼らの敵もアメリカではなく資本主義でもないのである。世界の共通の敵は戦争それ自体である。

 天皇陛下は憲法についてどう考えておられるのですか。
 僕は天皇陛下は実に偉い人だと今もしみじみと思っている。マッカーサーの草案を持って天皇の御意見を伺いに行った時、実は陛下に反対されたらどうしようかと内心不安でならなかった。僕は元帥と会うときは何時も二人切りだったが、陛下のときには吉田君(吉田茂。幣原内閣当時は外務大臣、憲法公布・施行時は内閣総理大臣)にも立ち会って貰った。しかし心配は無用だった。陛下は言下に、徹底した改革案を作れ、その結果天皇がどうなってもかまわぬ、と言われた。この英断で閣議も納った。終戦の御前会議のときも陛下の御裁断で日本は救われたと言えるが、憲法も陛下の一言が決したと言ってよいだろう。若(も)しあのとき天皇が権力に固執されたらどうなっていたか。恐らく今日天皇はなかったであろう。日本人の常識として天皇が戦争犯罪人になるというようなことは考えられないであろうが、実際はそんな甘いものではなかった。当初の戦犯リストには冒頭に天皇の名があったのである。それを外してくれたのは元帥であった。だが元帥の草案に天皇が反対されたなら、情勢は一変していたに違いない。天皇は己れを捨てて国民を救おうとされたのであったが、それに依って天皇制をも救われたのである。天皇は誠に英明であった。
 正直に言って憲法は天皇と元帥の聡明と勇断によって出来たと言ってよい。たとえ象徴とは言え、天皇と元帥が一致しなかったら天皇制は存続しなかったろう。危機一髪であったと言えるが、結果に於て僕は満足し喜んでいる。
 なお念のためだが、君も知っている通り、去年金森君(金森徳次郎。吉田内閣当時の憲法問題専任国務大臣)からきかれた時も僕が断ったように、このいきさつは僕の胸の中だけに留めておかねばならないことだから、その積(つも)りでいてくれ給(たま)え。

第一部 了





第二部


 私が幣原先生にお会いして憲法について伺ったお話の内容は、前記のように、メモにとどめておいたのであるが、当日のお話の中には、先生が、なぜ非武装平和主義といった、誰しも思い及ばないような考えに到達されるにいたったかということについての、先生の世界観というようなものも、多分に出ていたのである。以下は、このような先生のお考えがよくわかるよう、先生の世界観で記憶に残るものをも加えて、当日伺った戦争放棄条項の生まれた事情を一文にまとめたものである。



 私の一生は平和のために捧げてきたようなもので、そのため長い間随分苦労もしたが、又そのために図らずも憲法改正という大事業を引き受けることになった。何か天命をさずかったような気がして、二度と戦争が起らない保証を新憲法で確立したいと決心をしていた。
 改正案が沢山出たので全部目を通してみた。満足できるものは一つもなかった。自由党は天皇制護持に熱心なだけであり、進歩党は宣戦及び講和の大権は議会の協賛を要することにしていたが、それは統帥権をやめるというに過ぎない。社会党の案も似たりよったりである。共産党に至っては、「日本人民共和国は侵略戦争を支持せず、また参加しない」という文句を掲げていたが、自ら侵略戦争と称する戦争が行なわれた験(ため)しはないから、これなどはナンセンスであり、結局戦争をなくしようとするものは何処にもなかった。
一体、戦争と平和とは何か、ということを色々考えてみた。
 人間は平和を願う。それは今始まったことでなく、昔からそうである。しかし人間の歴史は戦争の歴史であった。平和な時代もあったが、その時には戦争の準備が行なわれていたから、平和時代は戦争準備時代である。つまり真の平和というものはあったことがない。人間は平和を願いながら、実際は血なまぐさい歴史を綴ってきたのである。ちょうど天使と悪魔のように矛盾した戦争と平和を人間は同時に求め、その何れとも離れては生きることが出来なかった。紛れもない事実である。
 そこで戦争をなくするには先ず原因を調べ、その原因をなくするほかはない。
 古来からの学説をみると、クラウゼウイツ(カール・フォン・クラウゼヴィッツ。ナポレオン戦争時のプロイセン軍将校、『戦争論』著者)は戦争の原因は政治であるといっている。たしかに戦争は政治の延長であろう。では政治とは何かということになるが、クラウゼウイツの影響を受けた多くの学者は政治の分析を色々やった。その中から新しい近世の思想が沢山出ている。マルクスは階級闘争が資本主義の世界では帝国主義になり、それが戦争に発展するのだということを言った。この説は政治は経済だということで、これが社会主義の原理になったが、要するに戦争の原因は資本主義だという考えである。
 ところがこうした学説で戦争の問題が片づくとはおもえない。資本主義なら戦争になるし、社会主義なら平和になると言ったところで、現に今度の戦争は資本主義と社会主義の同盟軍でやったのであり、仮りにまたこの説を正しいとするなら、やがて資本主義と社会主義の最後の決戦は避けられないことになる。
 ダーウィンは生存競争は生物界の普遍的現象であり、それが生物進化の生物学的法則であると言った。これが喰うか喰われるかありのままの宇宙の実態であり、また今日普遍的に承認される定説である。
 戦争と平和の問題は先ずこの生物学から出発するのが順序だと私は思った。社会科学の前に自然科学があるが、自然科学を解決しないで、どうして平和を論ずることができようか。クラウゼウイツやマルクスのように、政治的原因や経済的原因と取り組んだだけでは、平和の問題は解決できない。たとえそうした政治や経済の諸問題が理想的になったとしても、ダーウィンの進化論は依然として残るからである。この核心に触れない限り人類永遠の平和は保証されない筈である。
 人間は産れ落ちた瞬間から兄弟同志の戦争を始める。同時に人間は外敵と競争するため兄弟同志が相互扶助しなければならぬ。成長するにつれて人間は他人との競争も始めるが、同時にまた更に大きな外敵と競争するため、それまで競争相手であった他人との相互扶助をもするのである。この生存競争と相互扶助の関係は次第に規模を拡大して行くが、人間はその過程を通じて進化する。
 これが進化の法則であろうが、そうすると戦争と平和とはこの生存競争と相互扶助のことではないかと思われる。人間が戦争と平和を同時に求めたということは、人間は一方に於て生存競争をしながら、同時に一方に於て相互扶助をしながら進化するからであり、この生存競争とはほかならぬ戦争のことであり、相互扶助とはほかならぬ平和のことではないか。もしそうだとすれば戦争と平和は人間の生存と進化のために必要な二つの条件であって、言わば光と影のように切り離すことのできない両方とも人間の本質だということになる。つまり両方とも人間の正常な状態であることになるから、結局戦争と平和は人間進化という目的に於ては同一のものだと言わねばならなくなる。
 進化論を認めるならば、人間のこの宿命を認めなければならない。では悲しむべきこの宿命は、永遠の彼方から永遠の彼方へ連続して行く動かし難い歴史の宿命というものなのであろうか。もしそうだとし、歴史の宿命を変えることが出来ないとするなら、平和への努力は不可能に向ってぶつかっていることになる。どんな美しい平和憲法を作ってみたところで所詮空しい夢である。ただ人間の片一方のあこがれを表わすだけのことである。それなら今までのどの憲法でも同じだ。戦争の固まりみたいに思われた大日本帝国憲法でも、平和を基調とすることに変りはなかったのである。
 昔ヘラクレイトスは「戦争は万物の王である」と言ったし、近くはムッソリーニが「人類は戦争を通じてのみ偉大な存在となる。永久平和などという不合理な童話は、世界に存在したこともなく将来も存在しないだろう」と言ったが、たしかに戦争は永遠に古く且つ新しい問題であり、真の平和とはムッソリーニの言ったものかに見えるのである。
 私はすっかり絶望に陥った。これはどうにもならぬことである。あきらめる外はないのか、私は一時そう思った。
 しかし――私はもう一歩突き込んで考えてみた。――もしも進化論を永遠の法則と認め、人間もその適用を受けるとしたら、人間は一体どうなるか。つまり限りなく進化が発展し尽したその果てはどうなるか――ということである。
 生物進化の歴史は生物の興亡史である。人類発生前、或る時代、地球は恐竜が支配していた。恐竜はほしいままに他の動物を喰い散らしつつ横行濶歩した。やがて恐竜は亡んだ。余りに肉体が強大になり過ぎたからである。或る種の鹿は角を発達させることを競争の信条とした。角はつぎつぎと伸びて行った。やがて鹿は発達しつくした角のために自らの行動を失うに至った。キリンは高い樹の上の葉を食べるためするすると首が伸び、その点では彼は目的を達したが、今ではそのことが彼の運命を危くしている。馬は犬と同じ位だったが、走るうちに爪は固まって蹄(ひづめ)となり体も大きくなった。今日馬は人間の保護によって露命をつないでいるが、人間がその必要を感じなくなれば馬の存在理由は稀薄になって行くだろう。スカンジナビア半島にいるレミングスという鼠(ねずみ)は、繁殖が頂点に達すると一列になって大移動を起す。そして野を越え丘を越え遂には海に飛び込んでして終(しま)うという。動物の死の行進という現象である。
 この現象が人間にも起る、としたら――と私は考えた。ダーウィンは進化論を人間に当てはめることを最初は躊躇したそうである。しかし人間も例外ではあるまい。進化の極致が滅亡なら、人間もやがては亡びる理屈である。何時その日が来るかが問題である。
 人間は遠い昔、地球の覇者になったが、その後は専ら人間同志の闘争に明け暮れてきた。そして人間同志の限りない戦争の繰り返しの中で、人間の武器もまた限りなく発達して行った。遂に人間は原子爆弾に到達した。最初にその洗礼を受けたのがわが日本である。
 原子兵器を軍事科学は究極兵器と名づけている。いみじくも名づけられた「究極兵器」とは進化の極致を意味するものではあるまいか。しかもこの兵器は今後更に発達するであろう。来るべき第三次大戦には、この道具が主役として活躍するだろう。
 そうなると人間も自分が作り出した機械で自分を亡ぼそうとしているのだから、まさに人間にも死の行進の秋(とき)が来たことになる。
 これは大変なことである。私はびっくりした。しかしそんな馬鹿なことはない。そんなことがあってはならない、と私は思った。進化論は科学である。人間が作り出した一つの科学である。人間が自分で作り出したものを人間が支配できないはずはないではないか。いったい科学とは何か。そこで科学について考えてみた。
 ルネサンス以来科学は長足の進歩を遂げた。余りに目ざましい進歩の結果、科学はいささか思い上ったのではないか。増長した科学は己の力を過信し、自力で何事も解決できるような錯覚に陥ったのである。だが科学は本来倫理とは無関係なものである。どんな偉い技師でも宇宙を彼の運転する工場とすることは出来ない。このことはやがて科学者自身が気づくだろう。原子兵器を前にした科学者は、今に声を枯らしてその使用禁止を叫ぶに違いない。だがそれはほかならぬ科学者自身が作り出したものである。科学者は自分で作り出したものをどうすることも出来ないのである。科学者のできることは警告だけなのである。つまり科学とはそういうもので、もともと人間を指導することは出来ないものだ。科学とは自然の中にある事実を列挙して見せるだけのものなのである。進化論もその一つであって、ダーウィンは生物の自然を丹念に並べ、そこにある法則について人間の批判を求めているのである。人間がその批判をどのように下すかは凡(すべ)て人間自身の問題である。それが哲学というものであろう。すなわち人間の運命を切り拓き、最後に人間を救いだすものは哲学である。
 私は哲学によって人間が進化論という科学から抜け出せると思った。哲学はきっと科学を征服するだろう。動物はたしかに進化の極点で亡びて行った。鹿は自らの角で自らを見失い、レミングスは海に突中した。だが人間は違う。例えばアメリカの大都市は自動車の洪水で機能を停止しかけているそうだ。文明の極致もまた文明の滅亡である。もし動物だったら鹿の角のように都市は立往生を遂げるわけだ。しかし人間はそのとき都市の構造を根本的に修正しようとする。そして新しい自己の進路を発見する。それと同じように人間は戦争進化の絶頂に立つ秋(とき)、そこで回転することに成功するだろう。ちょうど都市の構造を修正するように、人間社会の容器である世界そのものの修正を思い立つことが出きるからであるが、これがすなわち哲学が科学を人間的に活かすことであって、科学に優先する哲学の人間的真価の意味であろう。
 しかし――その可能性は絶対と言えるだろうか。つまり人間が歴史を作るということが出来ることだろうか――私はまた新しい疑問を前にした。
 私には自信がなかった。何故なら人間の意志というものは決して実現できないものだからである。もし出来るのなら、今度の戦争でも防げたはずである。しかしほとんど不可能なことであった。私がいかに戦争に反対し、平和を叫んでみても、怒濤のような戦争の激流を阻止することは出来なかった。英米と戦うことが無理だということは心ある者には分っていた。しかし日本には必勝という信念というものがあった。一度も負けたことがないからである。したがって一度は負けてみなければ、日本人には結局わからなかったのではないかという気がする。利口そうで馬鹿なものが人間である。つまり今度の戦争というものは、誰が何と言ってみても、どうしても避けることの出来なかったものだという風に思われるのである。
 このことは歴史の流れというものは、人間の意志とは無関係に流れて行くものではないかということである。
 考えてみると、人の一生というものははかないまぼろしであり、人間の運命などは大河に浮ぶ泡沫ほどの哀れなものである。余りにも無力な人間である。その無力な人間の集団を通じて一つの歴史が流れて行く。歴史は人間の喜びや悲しみやもろもろの人間の意志や感情を乗り越えて流れて行く。何者か人間を超越した巨きな力が歴史を貫いて行く。そういう風に思われる。そうなると歴史というものは、いったい何者かということになる。
 私はそこでまた歴史について考えることになったが、考えれば考えるほど歴史の正体ほど分らないものはなかった。唯物史観というものがある。それによると歴史は物質だと言っている。歴史は物質の反映であり、物質の変化につれて歴史は変化するという。では物質とは何かというと、物質とは人間の精神に優先して精神の外部に独立に存在するものであり、つまり精神がなくとも存在する外的実在であって、それがどのようなものかは科学が説明するという。唯物論である。物質すなわち自然が主体であるから、人間の認識というものは常に不十分不正確なもので、同じ対象物である自然の中から科学の発達に伴って絶えず新しいものを認識する。要するに世界にはまだ認識されないものと、既に認識されたものがあり、前者から後者へと間断なく変えられて行くというのである。
 この解釈は一見すると、なるほどと思われる。たしかに人間の認識と外界の関係はこのような方向を辿る。だがこの論理を永遠の法則と断定できるかどうかとなると大きな疑問がある。何故なら、若(も)しそうだとすると、人間の認識は事物の外観だけに限られることになるから、人間は究極的には真理の認識に到達できないという矛盾が起る。この疑問に対して唯物論者は弁証法を持ち出して答えている。例えばエンゲルスは「人間の認識は常に相対的誤謬に於てのみ実現されるが、真理性を主張する無条件的権利を持っており、それは限りない人間世代の連続の中だけで解決される矛盾である」と言った。レーニンはこの言葉を取り上げて、「そこには相対的真理と絶対的真理の弁証法的関係が見事に描きだされている」と感心している。
 ところが今日になると、その「限りない人間世代の連続」というものがあるかないかが疑わしいのである。やがて第三次大戦が起り、究極兵器が発射されたらどうなるか。恐らく地球は廃墟と化し、人間は消滅するだろう。
人間が消滅すれば人間の精神も消滅する。しかし唯物論では「精神はなくとも物質は存在する」から、その場合でも地球は存在しつづけるであろう。唯物論者はそのとき人影の消えた砂漠に立って、「かつて此処に人間という愚かな生物ありき」と立札でも建てるのであろうか、と言ってみたくなる。
 もっとも、唯物史観も人間の自由を極力認めようとはしている。レーニンは「自由とは自然の法則を特定の目的のために計画的に作用させる可能性の内にあるのだ。それは自然の必然性の認識に基いて外的自然を支配することである。つまり自由とは必然性の洞察である」という風に説明している。レーニンの言わんとするところは、例えれば流れを下る舟の船頭のようなものだろう。舟が下流の或る地点に流れ着くのは必然である。そのことは絶対に動かせない。途中で方向を変えたり、まして逆行するようなことはできない。そこで先まず与えられた到達地点を洞察する。そして出来るだけ早くその地点に舟をつけるように努力する。その舟のつけ方如何は棹(さお)の繰り方で左右される。そこだけに自由の余地がある。つまりレーニンの言う自由はそれだけの自由であるが、そのような自由は本質的には外的自然に支配されている自由であるから、歴史を動かし得る人間本来の自由とは呼べないものであろうと私は思う。
 要するに唯物史観というものは、物質を客観的実在と呼び、客観的実在としての物質を認める、という前提から出発したものである。だがその「認める」とは誰が認めるかと言えば、それは人間であり、人間の精神によって認めるのである。ところがその精神は、唯物論によれば、物質の反映に過ぎない「不十分不正確な」言わばしがない影である。そのしがない影である客体がどうして主体を絶対の真理と認めることができるのかということになる。客体は元来そのようなだいそれた資格も権利も持ってはいないのである。したがって若(も)し持っている者があれば、それは別に存在すべき確固たる何かでなければならない筈である。では確固たる何かとは何かということになるが、それは当然第三者である。すなわち唯物論者は人間の精神から抜け出して第三者となり、全然別個の位置から主体と客体を見くらべ、その上で物質を客観的実在と宣告することになる。またそうしたのである。この場合唯物論者は人間ではなくなっている。人間でない第三者とは何か。それは神である。唯物論者は神を否定するが、彼自身は神にならなければ出来ないような芸当をしたことになる。つまり唯物弁証法というものは物質を神と見立て、その仮説の上に組み建てられたものであり、そして物質という神に向って旅を続ける永遠の旅人に過ぎない。このような根拠のない哲学によって歴史の証明はできないと私は思った。
 唯物論に対立するものに観念論があるが、観念論はこれは頭から問題にならないものに思われる。何故なら、人間の精神、つまり感覚や観念と客体が不可分だとしたら、精神の及ばない世界にも何ものも存在しないことになるからである。南極大陸は人間の精神とは無関係に存在しているに違いない。人間が発見し知覚した瞬間に突如として大陸が存在するに至る訳はないのである。
 私は哲学史をひもといてみたが、それは物質と精神の何れを主体とするかという論争の歴史であった。しかし私には、物質と精神の甲乙を論じ合うようなことは無益な水掛論にしか感ぜられなかった。
 私は思った。――恐らく真の本性なるものは観念論がしたように外面という言葉で表わす単なる表皮ではあるまい。一方また唯物論がしたように内面にあるが故に予感し規定はできても決して到達することができないような秘められた実在というものでもあるまい。そのような存在は初めから存在してはいないのだ。真の存在は外部でもなければ内部でもなく、きっと精神と物質の連鎖の中にのみ存在するのではなかろうか。
 私は少し分ったような気がしたが、宇宙の存在が精神と物質の連鎖の中にあるなら、歴史が人間と離れて存在するはずはない。たしかに歴史に一定の方向があり、それは個々の人間の意志と別個に動いて行くが、人間のいないところで歴史が綴られることがない以上、自然の歴史などというものはあり得ない。そもそも歴史とは時間である。時間は本来無である。過去はすでに無く、現在は無限分割の極限であって之も無であり、未来は固(もと)より無である。すなわち時間の系列は悉く無であるが、その時間が一個の時計のように存在するというのは弁証法的に統一されるからである。唯物論が弁証法を取り込んだが、弁証法というものはヘーゲルが言ったように綜合的内面的なものであって、それは観念の中だけで実現するものである。仏教で言う悟りとはこのことで、ほんとうは唯物論とは結びつかないものである。同じ十年という時間を一日とも一昔ともいう、つまり観念の統一である。時間とはこのように人間の観念によって組織される一つの構造である。故に歴史もまた観念による人間的構造である。すなわち人間が或る意図をもって現在に立ち、過去を把握し、未来を展望するとき初めて得られる。これが歴史というものである。
 私は漸(ようや)く一つの確信に達した。人間と遊離した歴史の必然などは存在しない。歴史は飽(あ)くまで人間のものであり、人間のみが人間の歴史を構成するのである。戦争の歴史も平和の歴史も人間によってどのようにも書き変えることが出来る。人間は自分の歴史を描く権利を持っているのである。
 歴史は今新しい段階に達しようとしている。人間は歴史の一つの峠に差しかかっているのである。究極兵器の登場によって人間は戦争進化の頂上に達したのだ。この分水嶺で人間が右に行くか、左に行くか、その道の選び方で人間の運命は決まる。もし人間が引つづき戦争への道を行くならば、人間の歴史は幕を閉じるだろう。反対に平和への道を行くならば、人間には新しい黄金の歴史が開かれるのである。
 私は歴史の巨きな分水嶺に立っていることを感じた。新しい時代がやってきたのである。それは二〇世紀から二一世紀への階段を昇るというようなものではない。今までの歴史を人間の前史とするなら新史の開幕と言うべきものである。戦争に血塗られた過去の歴史は去ったのである。今、二〇世紀の人間はほんとうの意味での人間開花の前夜を生きている。
 ほんとうの意味での人間開花とは、当然戦争のない世界である。ではどうして戦争をなくするか。考えてみれば至極簡単なことである。生存競争と戦争を区別すればよいのだ。
 戦争とは集団的殺人のことである。個々の殺人は既に人間に於て罪悪である。ただ殺人が集団的に行なわれる場合にのみ、戦争と称して合法化しているに過ぎない。一度殺人が合法化されると、より多く殺す程賞められて英雄になるという奇妙な矛盾を呈する。これは生存競争と殺人を混同した人間の錯覚に起因するものである。生存競争と相互扶助は何処までも車の両輪である。だが生存競争と戦争とは必ずしも同義語ではない。或る人は或(ある)いは言うかも知れない――殺人は競争の頂点であり、第一級の競争形式である。しかるに殺人を目的としないことになれば、第二級の競争形式ということになり、第一級の競争によって得られた進化の成果が失われて終いはしないか。つまり殺されるということが全くなくなったら、人間は退化して終うのではないか――と。それは全く逆である。既に言ったように進化が滅亡の段階に達したから此処で大転換を図るのである。ただ古い時代の無知が、生存競争と殺人を分割することに気がつかなかっただけである。ムッソリーニが「人間は戦争を通じてのみ偉大な存在となる」と思ったように、人間は勘違いをしていたのである。
大昔の愚かな人間はスポーツにさえも殺人を持ち込んだ。スパルタカスがその良い例であろう。スパルタカスの競技は生死がかかっているから最も激烈な死闘を展開した。その意味では進化を促進する効果はあったであろう。宮本武蔵の殺人技術はこの競争形式の中で生れた。だがこの場合勝負は一回に限定されるから、敗者即死者であって競争者の数は絶対的に減少し、全体としての進化は却って断絶して行ったのである。聡明な近代の人間はこの教訓の中から防具を発明し、殺人と競技の分離を実現したのである。すなわち殺人を目的としない競争こそ、最も人間的な人間競争であり、真に人類を偉大な存在とする最高の競争形式となるのである。この新しい競争形式は平和的生存競争とでも呼ばれるべきものであろう。この形式が実際にどのような姿のものになるかは難しい問題である。私にはよく分らないが、科学と芸術を融合した全く新しい分野が生れるのではないかという気がする。例えば月の探検競争というようなことだ。そうした平和的生存競争の世界が創造された暁に、初めてほんとうの人間の花が咲く。これは何と素晴らしいことではないか。私は勇気が湧いてくるのを感じた。
 ではそこで具体的にどうして戦争をなくするか――ということに私は進んだ。
 戦争をなくするには先ず国家間の紛争を平和的方法で解決しなければならぬ。平和的方法とは武力に頼らないことだから、武力を持たないのが一番確実な保証である。だが世界が全く武力を持たないという真空状態を考えることはできい。老子の大道国家とか、カントやルソーなどが提唱した永久平和案の如きは尚当分人類の夢を出ないであろう。
 人間と人間の争いは最後は腕づくで解決する外ないのであって、そのためにどうしても武力が必要となる。しかしその武力は一個に統一されなければならないと私は考える。
 凡(およ)そ二個以上の武力が存在し、その間に紛争が生ずる場合、一応は平和的交渉が行なわれるが、交渉の背後に武力が控えている以上、結局は武力が行使されるか、少なくも武力が威嚇手段として行使される。したがって勝利を得んがためには武力を強化しなければならなくなる。かくて二個以上の武力間には無限の軍拡競争が展開され、遂に武力衝突を引き起すのである。すなわち戦争をなくするには武力の統一が絶対の条件である。
 武力の統一は交戦権の統一である。交戦権の統一は一つの世界政府である。勿論世界のすべての国家がその主権を捨てて一つの政府の傘下に集まるようなことはほとんど空想であろう。だが少なくも交戦権が一個に集中された状態、すなわち何らかの形での世界政府でなければ戦争なき世界は考えられない。つまり或る協定の下で軍縮が達成され、その協定を有効ならしむるために必要な国々が進んで且つ誠意をもってそれに参加している状態、この条件の下で各国の軍備が国内治安を保つに必要な警察力の程度にまで縮小され、国際的に管理された武力が存在し、それに反対して結束するかも知れない如何なる武力の組み合わせよりも強力であること、という世界である。
 そういう世界は歴史上存在した。ローマ帝国などもそうだが、何より記録的な世界政府を作ったのは日本である。徳川家康が開いた三百年の単一政府がそれである。徳川幕府は徹底した鎖国政策を採ったから、当時唐天竺というものを漠然と意識した程度で、事実上日本即世界であったが故に、徳川幕府は正にその名に値するものであった。この例は平和を維持する唯一の手段が交戦権の統一であることをよく示している。ただ家康の世界政府は三百年しか持たなかったが、その理由は将軍の永久支配というイデオロギーを凍結しようとし、そのためには、学問の禁止による愚民政策を強行せざるを得なかったからである。
人間は春の草が萌え出るように常に自由を求めてやまないものであり、いかなる権力も人間のこの本質を圧殺することはできない。徳川三百年の凍結政策の失敗は、やがて来るべきほんとうの世界政府のための教訓として記憶さるべきものであろう。
 要するに世界平和は正しい世界政府への道以外には考えられないのである。
 そこでこれからの世界である。国際連盟は空中分解したが、やがて新しい何らかの国際的機関が生れるであろう。その機関が一種の世界同盟とでも言うべきものに発展し、その同盟が国際的に管理された武力を所有して世界警察としての行為を行なう状態、さしずめこれが戦争なき世界を可能にする唯一の姿と考えられる。
 世界の動向を眺めるにもともと水と油の連合軍は間もなく解体し、世界はふたたび新らたな戦争を迎えることになるだろう。この場合新らしい特徴は同一経済体制を持つ同種国家群の集団的安全保障体制の形をとることである。近世の政治史は資本主義に対する社会主義の挑戦の歴史であった。その間資本主義と社会主義の同盟という現象もあったが、それは一時的戦略によるものであって、本質的には異ったこの二つの体制は宿敵の関係にあり、早晩雌雄を決せねばならない運命に置かれている。したがって世界は概ね二つのブロックに整理統合され、その間に最後の決戦という様相が起る。無論何れのブロックにも属し得ない中立的国家やその他種々複雑な動きもあるであろうが、基本的には次の世界は資本主義対社会主義という二つの世界の対立に集約されるものと思われるのである。
 この二つの世界は絶えざる戦争の危険をはらみつつ長期に亘って対峙を続けることになるだろう。ただ両者の決戦は容易に行なわれないと思われる。異常に発達した武器が戦争そのものを抑制するからである。恐らく第二次大戦が人類が全滅を避けて戦うことのできた最後のチャンスであったことを人々は理解するだろう。戦争とは勝利を前提としてのみ意味を持つ。しかるに第三次大戦は何れの陣営にとっても勝利の保証はない。資本主義も社会主義もそれ自身は目的でなく、一つの手段に過ぎぬ以上、いかなる理想主義も人類の生存には優先しないことを人々は知るからである。
 かくて二つの世界は妥協する外はない。そしてやがては世界同盟の中へそれぞれ溶け込むことになるだろう。
 そこで問題は、どのような経過と時間を通じて人類が最後の目標に到達するかということである。有史以来最大の危機を通過する人類が、いかなる苦悶を経験しなければならないか、その間どんな事態が発生するか、ほとんど予想し得ない程に困難であるが、唯一つ断言できることは、問題の成否は一(偏ひとえ)に軍縮にかかっていると言うことだ。もしも有効な軍縮協定ができなければ、戦争は必然に起るだろう。何故なら軍拡競争というものは際限のない悪循環を繰り返すからだ。相手が一を持てば二を持たねばならぬ。相手が二を持てば更に相手は三を持たねばならなくなる。常に相手より少しでも優越した状態に己れを位置しない限り安心できない。この論理は果しなく拡がって行き何時かは破綻が起る。すなわち協定なき世界は静かなる戦争という状態であり、それは嵐の前の静けさでしかなく、その静けさがどれだけ持ちこたえるかは結局時間の問題に過ぎないという恐るべき不安状態の連続となるのである。
 では軍縮は可能か、どのようにして軍縮をするか、ということだが、私は軍縮の困難さを身をもって体験してきた。交渉に当る者に与えられる任務はいかにして相手を偽瞞( 欺瞞=ぎまん)するかにある。国家は極端なエゴイストであり、そのエゴイズムが最も狡猾で悪らつな狐狸となることを交渉者に要求する。虚々実々千変万化、軍縮会議に展開される交渉の舞台裏を覗き見るならば、何人も戦慄を禁じ得ないであろう。軍縮交渉とは形を変えた戦争である。平和の名をもってする別個の戦争なのである。円満な合意に達する可能性などは初めから存在しないものである。不信と猜疑がなくならない限りそれは止むを得ないことである。
 静かなる戦争への継続が破滅への道であることは誰もが理解している。だからこそ軍縮の交渉をするのである。だが交渉が行なわれている合間にも二つの陣営は原子兵器の増強に狂奔するだろう。むしろ軍縮交渉は合法的スパイ活動の場面として利用される程である。連鎖反応は連鎖反応を生み、原子兵器は世界中に拡散するまで止るところを知らないであろう。多分究極兵器には防禦の手段があるまい。報復と報復の鉢合せである。恐らくその状況下では、国民に戦争の意志がなくとも、偶発的な事故によって戦争に突入することさえも起るだろう。遂に人類は身じろぎも出来ない断崖に追いつめられる。
 そのような瀬戸際に追いつめられても各国はなお異口同音に言うだろう。静かなる戦争を一刻も早く止めなければならない。それは分っている。分ってはいるがどうしたらいいのだ。自衛のためには力が必要だ。相手がやることは俺もやらねばならぬ。相手が持つものは俺も持たねばならぬ。その結果がどうなるか。そんなことは分らない。俺だけではない。誰にも分らないことだ。とにかく俺は俺の言うべきことを言っているより仕方はないのだ。責任は俺にはない。責任は凡(すべ)て相手方にあるのだ。
 果しない堂々巡りである。誰にも手のつけられないどうしようもないことである。集団自殺の先陣争いと知りつつも、一歩でも前へ出ずにはいられない鼠の大群と似た光景――それが静かなる戦争の果ての姿であろう。
 要するに軍縮は不可能である。絶望とはこのことであろう。唯もし軍縮を可能にする方法があるとすれば一つだけ道がある。それは世界が一せいに一切の軍備を廃止することである。一、二、三の掛声もろとも凡(すべ)ての国が兵器を海に投ずるならば、軍縮は忽ち完成するだろう。勿論不可能である。それが不可能なら不可能なのだ。

 ――ここまで考えを進めてきた時に、第九条というものが思い浮んだのである。そうだ。もし誰かが自発的に武器を捨てるとしたら――
 最初それは脳裏をかすめたひらめきのようなものだった。次の瞬間直ぐ私は思い直した。俺は何を考えようとしているのだ。相手はピストルを持っている。その前に裸のからだをさらそうと言う。何という馬鹿げたことだ。恐しいことだ。俺はどうかしたのではないか。もしこんなことを人前で言ったら、幣原は気が狂ったと言われるだろう。たしかに狂気の沙汰である。
 しかし電流のように通り過ぎたひらめきは回転をやめなかった。いや、そうではないかも知れない。案外たいしたことかも知れない。これは考慮に値するぞ。
 そのとき私の一生のさまざまな追憶が一つの映像となって私の頭の中を駈け巡った。その映像の中から或る呼声が聞えた――お前は何のために生きてきたのだ。お前は何のために戦争に反対したのだ。お前が命を賭けて平和を守ろうとしたのは何のためだったのだ。今だ。今だ。今こそ平和だ。今こそ平和のために戦う秋(とき)ではないか。そのために生きてきたのではないか。そしてお前は今平和の鍵を握っているのではないか。今こそしっかりする秋(とき)だぞ。
 非武装宣言――それはたしかに狂気の沙汰である。だが狂気の沙汰でない正気の沙汰とは何であろう。武装宣言が正気の沙汰なのか。それこそ狂気の沙汰ではないか。考えに考え抜いた結果、その結論はもう出ている。
 そうだ。世界は今一人の狂人を必要としている。何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から脱出できないのである。
 これは素晴らしい狂人ではないか。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果すのである。
 幾世紀もの間戦争に勝ち続け、最も戦斗的に戦いを追求してきた一つの民族がある。その民族は自らを神の民族と信じ、武力をその神の信条としてきた。今その神は一挙に下界に墜落した。神の民族はその座を下りたのである。神が武力を喪失したからである。だがやはり彼らは神の民族であったのだ。彼らが神と信じた武力は実は神ではなかったのである。神でなかったばかりではない。悪魔だったのである。悪魔は今や正体をあらわした。その悪魔を投げ捨てることによって、彼らはふたたび神の民族となるのである。武力は力ではない。武力は弱者の武器に過ぎないのである。強者は武力を持たない。武力を持たないことによって強者となるのである。神の民族は依然として強者である。何人も神の民族を征服することは出来ないのである。悠々として神の民族は死中を往く。死中にこそ活があるのである。それが歴史の大道である。たくましい神の民族のうねりは、更に巨大な一本のうねりとなって歴史の大道を歩み続けるだろう。高らかに神の声を世界に宣言しながら――
 この考えに達したので私はマッカーサーと会う決心ができたのである。幸い情勢は私にとって都合よく展開していた。というのはマッカーサーは本国から天皇制を維持するよう命令を受けていた。ソ連は勿論天皇に反対であるが、アメリカ方である濠洲などがこの点だけはソ連に同調する空気にあったことである。元帥は非常に困っていた。そこで私は人間天皇と戦争放棄を一緒に進言したのである。渡りに舟であった。賢明なマッカーサーはそれを理解するとともに、このことが彼の名に於てのみ可能になることを知っていた。そして実際にそれを勇敢に実行したのである。私としては松本君らに打明けることのできなかったことは忍び難いものであったが、それは止むを得ないことであった。
 ただ私にもマッカーサーにも悩みがあった。悩みというのは日本の戦争放棄がアメリカの戦略に与える悪影響である。日本としてはアメリカに占領されたという単なる理由からだけでなく、アメリカと政治経済体制を同一にする立場に於て、将来アメリカと密接な関係を保持しなければならぬ。またアメリカも日本が行動を共にすることを期待している。しかるに日本が非武装となることは、アメリカの期待を裏切ることであり、アメリカを失望させることである。アメリカの失望は反射的にロシアを喜ばせることである。それは不本意なことだが、結果としてそうなる。実はマッカーサーが同意するまでにはその点で可成(かな)りの躊躇があったのである。
 しかし――私は元帥に言った。
 日米親善は必ずしも軍事一体化ではない。日本がアメリカの尖兵となることが、果してアメリカのためであろうか。世界が亡びればアメリカも亡びるのである。問題は今やアメリカでもロシアでも日本でもない。問題は世界である。いかにして世界の運命を切り拓くかである。日本がアメリカと全く同じものになったら、誰が世界の運命を切り拓くか。
 好むと好まざるにかかわらず、世界は一つの世界に向って進む外はない。静かなる戦争の終着駅は破滅的悲劇でしかないからである。その悲劇を救う唯一の手段は軍縮であるが、ほとんど不可能というべき軍縮を可能にする突破口は自発的戦争放棄国の出現を期待する以外ないであろう。同時にそのような戦争放棄国の出現も亦(また)ほとんど空想に近いが、幸か不幸か、日本は今その役割を果し得る位置にある。歴史の偶然はたまたま日本に世界史的任務を受け持つ機会を与えたのである。アメリカさえ賛成するならば、現段階に於ける日本の戦争放棄は、対外的にも対内的にも承認される可能性がある。歴史のこの偶然を今こそ利用する秋(とき)である。そして日本をして自主的に行動させることが世界を救い、したがってアメリカをも救う唯一つの道ではないか。
 日本の戦争放棄が社会主義者に有利な口実を与えるという危険は実際あり得る。しかしより大きな危険から遠ざかることの方が大切であろう。世界はここ当分資本主義と社会主義の敵対的共存状態を続けることになるであろうが、イデオロギーは絶対的に不動なものではない。それを不動なものと考えることが世界を混乱させるのである。前に話した徳川世界政府の崩壊がその例であるように、絶えず新しい思想に向って創造発展して行く道だけが未来を約束するのである。現にアメリカの資本主義が社会主義の理論的攻撃にもかかわらず、いささかの動揺をも示さないのは、資本主義自体がそうした理論よりも先行して自らを変質させて終(しま)ったからである。社会主義者は今のところはまだマルクスとレーニンの主義を絶対的真理であるかの如く考えているが、マルクスの予言と論理は現実の中で消滅し、やがて歴史の彼方に埋没して行くものである。すなわち社会主義も、資本主義が変化したと同じように変貌して行くであろう。恐らく二つのイデオロギーは徐々に接近し、何れは区別のつかないようなものになって終い、資本主義とか社会主義とかいう言葉自体が意味を失って終うような時代がやがて来るだろう。その秋(とき)世界平和は自ら完成する。
 何れにせよ、ほんとうの敵はロシアでも共産主義でもない。敵は戦争それ自体である。このことはやがてロシア人も気づくだろう――彼らの敵もアメリカではなく資本主義でもないことを。

第二部 了


出典:国立国会図書館憲政資料室所蔵、文書名「憲法調査会資料(西沢哲四郎旧蔵)」、文書番号165「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」
※一部の漢字にルビを加筆。一部に説明文を加筆